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  2. 第3回「ケイシーとの出逢いは夢の中。ケイシーからの招待状を見つけたんです。」 渡辺 奈津 先生

第3回 ケイシーとの出逢いは夢の中。ケイシーからの招待状を見つけたんです。
それで今度はご自身が患者さんになってしまったという。
そうです。何をするにも億劫で、常に倦怠感がつきまとう。最初は「まさか」と思いました。もともと「一件でも多く素晴らしい手術をするぞ」というようなヤル気満々タイプだった自分がそんな状態になるなんて、ウツにでもなってしまったんだろうか?と思ったくらい。でも、あまりのしんどさにきちんと検査をしたら、あの怪我がもとで肝臓を患ってしまったということが分かったんです。それはもうショックでした。それで今度は初めて患者としての病院通いが始まるわけです。そしていざ通院が始まって、病院で毎回味わうのは気の滅入ることばかり。たとえば、朝10時の予約のために9時から病院に行っても、待合室で延々と待たされて診療が終わるのは午後3時。

それだけ待たされても決め手となるような治療を受けられるわけではなく、主治医からは毎回「安静にしているように」という言葉の繰り返し。次第に睡眠にも支障をきたすようになってきたのでそれを先生に相談すると、今度は心療内科にまわされて、人の顔も見ない医師にただ睡眠薬を処方されるという有様。これでは行く度に病人になるようなものではないかと、自分が医療を受ける立場になって初めて患者さんの気持ちを痛感することになったんですね。だんだん自暴自棄になっていき「こうなったらもういつ死んでもいい。太く短く生きよう」と、思い切ってインターフェロン療法を受けてみることにしたんです。
その治療を受けるのは、かなりハードな選択だったのでは?
ええ。おかげで肝炎はだいぶ落ち着いてくれたのですが、その代わりに髪は抜け、体重は30キロ台にまで落ち、副作用には苦しめられました。そして、ピンポイントに臓器は回復したものの身体そのものはボロボロ、という状態に。それでこの辛さから抜け出したいと、やはり生活そのもの、まずは仕事から見直そう、と。
それでご自分のクリニックを開設なさるわけですね。
はい。ハードな手術生活にはもう身体がついていけない、もう少し落ち着いたスタイルに変えていきたいと、皮膚科の勉強をして'91年にクリニックを開業しました。まだ30歳過ぎの若輩者でしたから、経験値を高めようと、自分のクリニックでの診療に加えて大学病院での勉強も続けるという、二足のわらじをはいた状態をしばらく続けていました。

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