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第4回 「私が勉強に費やした時間は、代替医療を志す人たちの学びの土台になればと思っています」
ええ~!? カナダに留学する準備をすっかり整えられていたんですよね?
たまたまご覧になった映画をきっかけに、行き先を大幅に変更されるとは何とも大胆(笑)。
そうですよね(笑)。まあそんなわけで、何のあてもないオーストラリアへと急きょ行き先を切り替えてしまったものですから、まず現地に着いたら研修先を探すことから始めなければならなくなりました。そこで毎日毎日、色々な動物病院をひたすらまわり続けたのですが、全く相手にされないわけです。というのも、オーストラリアではイギリスかオーストラリア、ニュージーランドいずれかの医師免許を持っていないと獣医師として通用しないんですね。日本の免許というのは効力が無いものに等しいんですよ。

それで研修先が見つからずどうしたものかと思っていたある日、現地で知り合った人が獣医師の学会に招待してくれて、そこで発表をさせていただくことになったんです。そうしたら、その学会発表が評価されて今度は逆に沢山の病院からオファーがくるようになってしまって。それで、今回は仕事ではなく勉強をするために来たのだからと、二週間ごとにあちこちの色々な病院に行かせていただくことにしたんです。
またとない勉強のチャンスですね。
ええ。それで約1年間、さまざまな病院で学ばせてもらいました。その間に貴重な体験をたくさんさせていただきましたが、なかでも面白かったのが、「フライングドクター」という仕事をしていた時のこと。フライングドクターというのは飛行機でオーストラリアじゅうをまわって診療をする医師のことなんですが、あるとき実際にその仕事をしているドクターのビデオを見せてもらったことがありまして。彼が世界遺産の眠る谷間の上を飛行機で低空飛行しながら診療先に向かう映像を見た時に、これはいいなあと。すぐさまその病院に「これから行きます」と手紙を出したんですよ。
そんなお仕事があるんですね!楽しそう。でも研修先を探すのにも苦労したほど受け入れの厳しいオーストラリアで、すぐに希望が通るわけではないですよね?
ええ。おっしゃる通り、普通なら私のような飛び込みの人はたいてい断られます。でも私の場合はラッキーなことに受け入れてもらえたんですね。その手紙を出す前に、すでにあちこちの病院に行って結構有名になっていたことや、シドニー大学などで学会発表をしていたこと、大学の生徒さんに講師として教えていたことなどが評価されたようでした。大学の先生たちや専門医、獣医師会長など皆さんが紹介状を書いてくださったことも大きかったですね。
そのコネクションも、森井先生がオーストラリアに渡られてから短期間のうちに築かれたものでしょう。コミュニケーション能力はもちろんですが、それだけの実力をお持ちだったからこそ、皆さんに推薦されたわけですよね。すごいなあ。
いえいえ。それで、念願のフライングドクターをするためにその病院に行くことになったんですが、そこは周りには自然以外に本当に何もないところで。私にとっては天国のような場所でした。そういえば、住む場所として家を一軒あてがわれたんですが、玄関から入り口のドアまでが50㎞ありました。しかも、その家は100万エーカー(1エーカー=3000坪)という広大な敷地内に建っていましたね。あまりに広すぎるので車では用をなさず、移動にはもっぱらプライベートジェット機とセスナを使用していたんです。
ええ~!? さすがオーストラリア。スケールが大きい……。
当時は政府が推奨している「牛の結核撲滅プログラム」に携わっていまして、飛行機で移動しながら野生のバッファローやアウトバック(砂漠地帯)に散らばっている牛のツベルクリン反応を調べてワクチンを打つ、という仕事をしていました。そのために毎朝、まず飛行機に乗って自宅前の滑走路から飛び立つのですが、よく通過するバングルバングルという秘境や美しい自然を上空から眺めるのが楽しみでした。

また、オーストラリアというのは国土の1割くらいが自由に入れる場所で、残りの8~9割はアボリジニの聖地か私有地のため原則的には立ち入り禁止なんですが、こういう政府がらみのプロジェクトに関わっているとどこにでも自由に入ることができたのでそれもまた貴重な経験でしたね。そういった1年間の研修期間を終えて日本に戻った後、当時父が閉めかけていた病院を受け継いで再スタートさせることにしたのです。

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