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  3. 第10回「風水というのは本当に、 物質的な言語、スピリチュアルに統合された物理的な世界の言語だと思うのです。」

第10回
 風水業界では有名なその中国人の先生のワークショップを受けた時の話ですが、彼女はクラスで斜め45度を向いていました。生徒に対して45度の方角が、彼女にとって良い方位で、残りの45度は良くない方位だったからです。クラスの半分は無視された感じがしたうえ、彼女は正面に向いていませんでした。ただ単に、全員の方を向いていなかったからだけではなく、全員に対しアップフロント(*正面という意と率直という意味がある)ではなかったのです。

私は「これは面白いな。先生はもっと成功したいと思って斜めを向いているのに、実はうまくいっていない。だいいち、見た目が変だ」と感じました。先生は何人もの生徒を切り捨てていました。そのワークショップのエネルギーはとても悪いものになっていました。それで私は「方位だけではないんだ」と気づき始めました。今は、完全にそう思っています。

自分が家を基礎から建てるなら、もちろん方位を使って設計することについては神秘的な理由があるに違いないと思います。すべてを無視するべきだ、ということではありません。しかしながら私たちは文化的に、物理的なもの、論理的なもの、肉体的に育むものの多くを無視する傾向があります。自分らしく生きられるよう、肉体や神経がきちんと保たれるようなデザインや配置について、よりスピリチュアルな見方をしなければなりません。

私たちは何かを見たとき、脳を中心にし、次に他の感覚から得られる情報に移りますが、実際に何が目に入って来るのかに注意を向ける必要があると思います。

伝統的な風水の実践家は、私がやっているものは風水じゃない、と言うかもしれません。私にとって定義は関係無いと言えます。もし私のやっている様式に他の名称があったなら、それを使うでしょう。もし風水とは何か、そして風水が何に由来しているのかが書かれた最初の風水の書物を読めば、私のやっていることは的確であることがわかると思います。というより、より的確で、エネルギーの動きに近く、当時の人々が行っていた本質に近いものです。

現在、伝統的なやり方と言われているものは、ただ5千年前にやっていたことをそのままやっているだけです。でも私たちは5千年前ではなく、今に生きています。今に生きているのであれば、5千年前のやり方そのままで、どうやって新しいエネルギーや新しい機会を人生に引き寄せられるのでしょうか? 5千年前のエネルギーに基づきながらも現代に合わせたやり方をするのではなく。
方位に従って家を建てたお宅に伺ったとき、コンテンポラリー風水のバグアマップに照らし合わせると「知」のエリアの部屋が乱雑になっていました。その人の話はどうも内容がちぐはぐなことが何度かあったので、なるほど、この方の「知」は混乱をしていたのかと納得したことがあります。
ご存知のように、風水で多くのことが解釈できてしまうことで起きる問題は、私たちは物事を常に運命論で捉えてしまうことです。簡単に問題を見つけられたりしますよね? ですから、私は方位磁石のやり方は不完全な見方だと気づいたのです。

例えば、私の才能や能力ややる気などに拘わらず、間違った方位を向いているだけで私が成功できないということを意味するのでしょうか? 例えば、何が私の成功を決めるのでしょうか? 何が私が私であるための能力を決めるのでしょうか? 本当に磁気だけでしょうか? 他には何も無いのでしょうか?

家についても同じです。収納の問題というのは、それがどの場所にあったとしても「あぁ、ここに収納家具があるからこれが起こったんだ」と言うことができます。大事なポイントは、その収納家具はどんな状態なのか、そしてそれは良い収納家具なのかを見る必要がある、ということです。

それで中国人はトイレの位置に偏執するようになったのです。トイレがどの位置にあっても、良い運が流れてしまいます。人間関係のエリアにあれば、良い関係のエネルギーが流れてしまい、お金のエリアなら、お金が流れてしまいます。でも、それなら、トイレをとても居心地の良い空間にしてエネルギーを整えてしまえば良いのではないでしょうか? そうすれば清潔で気持ちよく、楽しく感じられるので、それがどのエリアにあっても良いエネルギーをもたらします。「あぁ、ここに問題がある、それはトイレがあるからだ」と言う代わりにです。トイレはどこかになければ困ります、皆トイレは必要です。もしトイレ無しで暮らしたいのであれば、頑張って! でも楽しくはないでしょうね。

中国人の風水の先生が「トイレに風水の装飾をしてはいけません、そうするとその場のエネルギーが拡大されてしまうからです」と言っていましたが、私はそれはまったくのナンセンスだと思います。だってトイレは必要なのですから、その部屋をもっと居心地の良いものにしたらどうですか? そうすればその部屋に居る時に、良い気持ちになります。私が言いたいのは、人生のもっと多くの時間を気持ちよく過ごしたらどうですか、ということです。自分の居る場所を楽しんでは? 物の見方がまったくナンセンスなんです。

ちなみにその先生は、ご主人と別々の寝室で寝ていました。彼にとって良い方位が彼女の方位と違ったからです。これも「成功のため」です。これについて私は「成功の定義って何ですか?」と尋ねるでしょう。お金のことだけでしょうか? 成功というのは温かい人間関係を築くこととは関係無いのでしょうか? そして誰かと親密になれるということも? そうすると成功の定義というものがとても興味深いものになり、私たちは、何が自分に幸福をもたらすのかに基づいて行動をとっていることがわかるようになります。

「トイレに居る時も幸せ、仕事をする時も幸せ、パートナーがいびきをかいても幸せに」ということです。ただ幸せに生きなさいと言っているのです。その先生とご主人は、バランスのとれた人生を生きるという観点からは外れていたと言えます。ルールを守ろうとしてゆがんだ人生を歩むこともできますが、「バランスのとれた風水」を行うのが目的ではなく、「バランスのとれた人生をもたらす手助け」をするべきなのです。

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