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  3. 第10回「風水というのは本当に、 物質的な言語、スピリチュアルに統合された物理的な世界の言語だと思うのです。」

第10回
ベッドの置き方についてですが、結婚を望んでいる独身の人がシングルベッドを壁につけて置いてしまうのは良くないと言われて最初は理解できませんでした。誰かを迎え入れるために、ベッドの両側を空けておくという発想が私にはとても新鮮でした。
これは、人々が「この配置はどんな結果をもたらすか?」ということを見る訓練を受けていないからだと思います。「もし私が求めている未来が実現するのなら、この結果はどうなるだろう?」とすべての過程を想像するのです。

ベッドの片側を壁につけている時に「じゃあここにもしもう一人寝ていたら……」と想像してみましょう。ベッドに入る時はどうするだろう? 起きてトイレに行く時はどうなるだろう? もしコンタクトレンズや眼鏡かける人だったら、サイドテーブルが無かったらそれをどこに置くだろう? これらすべてのことをよく考えるという作業は、学校では教わりませんでした。

私は風水の原理が物語っていることに加えて、数多くのトレーニングを通して、このプロセスを学びました。そこには論理があるのです。多くの人は「それは風水ではない、ただの常識だ」と言うのですが、私は良い風水というのはまさに常識だと思います。

例えば、自分の部屋の青い色がとても気に入っていたとします。でも気分が落ち込んでいたり悲しく感じたり、孤独を感じていたなら仕方ありません。楽しい気分と落ち込む色、そのどちらかを選ばなければなりません。どちらの方が大切でしょうか? 

「青色」の話になると、興味深いことに、ある人々はとても論争的というか執拗になって「私はどうしてもこの色がいいんだ、この色が好きなんだ!」と言って部屋の色を変えようとしなかったりします。反面、彼らも色がもたらしている結果は嫌なのです。それでも色の方が大切だと言い張ります。これが本当に面白いと思えるところです。自分を殺すものでもしがみついていたいのです。糖尿病を患っていても、コカコーラの味をあきらめるよりは飲み続けたいのです。何かしらの理由で。大抵の場合、そこには何かが隠されています。

「青色」の場合、大抵、その裏には解決していない感情があり、それが何なのかはっきりさせたり、理解したり、その解決法を見つけることが出来ないでいるのです。青というのは、表に出す必要がある、その感情の状態を象徴しています。そのために彼らは、その感情の苦痛と付き合っていくためには青に囲まれなければならない、と信じているのです。

「ピンクが嫌いだ」とか「暖色が嫌いだ」というのも同じです。カナダに住む人で、青色が大好きな女性を知っています。彼女は赤が嫌いです。それなのにお客さんが来ない、良い機会に恵まれない、やる気が起こらないと不平を言っています。本当に面白いのですが、赤というのは注目をもたらし、認識をもたらし、やる気をもたらします。彼女は、自分の好きなものに執着し、結果に不平を言っているのです。バランスをとろうとはせずに。まぁ、私の人生では無いし、やり続けるのは本人の自由ですが・・・。

人はよく、自分の求める結果と矛盾した「欲しい」とか「欲望」といったものに固執し続けるものなんです。残念なことにそういったものを彼らは選んでいます。
今回のワークショップで、息子さんが青のカーテン、青のベッドカバーというように、青だらけの部屋に暮らしていて、引きこもりになっているという方がお二人いましたね。2、3年前のワークショップにも、ご主人が青だらけの部屋で鬱になっているという方がいました。
世界中のほとんどの人々は、色やイメージが私たちに与える心理的、生理的な影響に気づいていません。ワークショップでも話したように、広告業界というのは、ある色を使ったり、シンボルを使ったり、音を使ったりすれば、それを見ている人から好反応が得られることをよく知っています。実際、企業の売り上げが伸びるのです。

色についても同じことが言えます。私たちはただ「青は男の子でピンクは女の子だね」と考えますが、そんな風に決めるのは、いくつかの理由においてまったく馬鹿らしいことです。ひとつには、なぜ男女の表現を決まった形に制限してしまうのでしょうか。この色はこの意味、この色はこの性別というように。個人の好みに関係なくです。

すべての人が青はありふれた色だと知っています。よく言われることで、真実なのですが、青はあまりにも目立たない色なので、人は非常にリラックスして、それがだんだん深くなり、実際に動くことができなくなり、やる気や活気(スパーク)を起こす気力も持てなくなるのです。

英語で活気をスパークと言いますが、この言葉には火花という意味もあり、火に由来しています。「火」は「水」と正反対のものです。ここにはある意味、風水哲学の深い力が言葉として訳されています。とても興味深いですね。

沢山の人に知って欲しいと思うのは、寝具の色や部屋の色が、私たちがどのように感じるかに深い影響を与えているということ。このことをあらかじめ認識しておいて欲しいのです。人々は不必要に苦しんでいると思います。

ワークショップに熱心に参加してくれていた女性と話したのですが、彼女は鬱で3ヶ月入院していました。入院前、彼女は青い壁、青いシーツに青いカーテンの部屋で暮らしていたそうです。この情報がすべての人にきちんと伝われば、他の色が選べます。

その女性はなぜ3ヶ月も入院したのでしょう? そのデザインを選んだからです。無意識に、実存的にとも言えますが、彼女は霊的にその経験をしなければならなかったのかもしれません。ですが常に、これほど苦しまなくても霊的に「行くべき場所」に到達できる方法があるはずです。

「それは起こるべくして起きた」。 この言葉は精神世界とニューエイジの大嘘のひとつです。「それはこんな風に起きなければならなかった」とか「それには理由があって起こった」とも言います。すべては理由があって起こりますが、それが起こるのに、別のもっと楽しい方法で起きてもいいんです。

私は、人々が寝室やシーツの色について見直してみることを願っています。地球上にある青いシーツを沢山燃やせば、もっとエネルギーや熱が作れますね。青いシーツは誰にとっても良くないですから。
(笑) マークが初めて家に来た時に、鏡の位置が自分が映らない高さであることを指摘されて、さらに「これはあなたに何のメッセージを送ってると思う?」と聞かれたのでびっくりしました。その鏡は、ある風水コンサルタントに「この壁は斜めになっているから鏡を置きなさい」と言われたので、ただそこに鏡を置けばいいと思って置いていたんです。

ある風水を勉強されていた方が、玄関の左側に靴箱を置いてはいけないと習った、ということで、玄関ドアの前に靴箱を置いていました。玄関を開けると、目の前にどーんと靴箱があるので、どう考えてもエネルギーのブロックになっていました。

マークが教えてくれている風水は、私たちが何気なく置いている物が、別のメッセージを発していることに気づかされていつも驚きます。
人生のどんな側面でも言えることですが、もし私たちがある法則に従って生きているのなら、どんな影響をその法則から受けているのかを見ていくと、とても興味深いものになると思います。つまり「この法則は私の役に立っているかどうか」です。誰かに靴箱を左側に置いてはいけないと言われ、それに従ってみたとき、自分の肉体的、生理的な反応に注意を払ってみる。感情的、精神的、霊的、そのすべてに、どんな影響を与えているのか・・・?

その影響にきちんと注意を払うようになれば、自分で選択できるようになります。それで多くの人が、私がやっている風水は「常識」だと言うのです。実践的なことを行い、物事に注意を払っているからです。正しいことだから行うのではありません。論理的で賢明(センシブル)だから行うのです。

最近、私は自分のビジネスの名前を「センス・オブ・スペース」に決めました。「センス」という言葉にはいくつかの意味がありますが、「感覚」という意味で空間(スペース)を感じることと、他には「分別」という意味で、まさに常識(コモン・センス)を意味しています。「あなたは分別がある(センシブル)」というのは論理的だという意味です。

私たちは常に外界からの情報を取り入れていますが、最後には耳を貸さなくなります。生きてゆくために、私たちは過去の経験からのネガティブな影響を無視する方法を習得しています。そこからは恩恵を受けていますが、欠点もあります。

最近、誰かと話していたことですが、日本では駅の構内に沢山のアナウンスが流れています。エスカレーターに乗る時にも、黄色い線の後ろに立って、とか、小さい子供の手を取ってとか、ベルトにつかまって、など沢山のアナウンスが流れているのに人々は無視しています。私たちは物事に注意を払うことをやめてしまうのです。しかし、影響が無くなる訳ではありません。

風水を上手く適用できるようになると、この論理や感覚、影響を意識するようになります。それは関係性のことであり、「外界と自分」ではなく「外界と自分がひとつ」なのです。宇宙は相互に影響し合い、私たちは家の中でも相互に影響し合っているのです。「それは何を語りかけているか」に注意を向けるようになってきます。

世界は常に私たちに語りかけています。でも私たちは大抵それを聞こうとしません。耳栓をしているんです。そして私たちの目の前にあるものをきちんと見ずに、自分の頭の中の考え事や他人の話を聞いているのです。

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