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第13回
昔は、幽霊がいるとかいないとか、UFOの写真が撮られた、宇宙人に会ったとか、そのレベルで終わっていたんですけど、ある日テレビをつけたら、宇宙人陰謀論とか政府は宇宙人と密約しているとかの話題になっていました。そこまで話しが一気に進むとSF小説を読んでいるようで現実感がなくなってしまうんですよね…。
今はCGを使うと何でも出来てしまうんです。だから本物の心霊写真の定義が出来なくなってしまいました。何が本当で何が嘘かの見極めが出来なくなってきているんです。テレビ番組もみな嘘みたいに思えてしまって、夢がなくなってしまいました。
話題を少し変えますが、エドガー・ケイシーの『転生の秘密』を書かれたジナ・サーミナラさんが来日されたとき、1回目は福田高規先生がお世話をされ、2回目の来日のときには韮澤さんがお世話されたと聞きしました。このあたりのことは憶えていらっしゃいますか? 美輪明宏さんがジナさんと並んで写っている写真もありましたよね。
大学進学で東京に出てきてすぐに十菱麟さんが作られた英瑞カンパニーに行ったことがあります。そこで福田高規先生が事務員として働いていたんですよ。それはよく憶えています。

あの写真の美輪さんは『よいとまけ』を歌われていた頃でしょうか。美輪さんは、自分は天草四郎の生まれ変わりだと言われています。そういう前世の自覚があってタレント性のある人にジナさんを引き合わせようかなと思ったんです。その時のことは雑誌『たま』の記事にしたのを憶えています。ジナさんが日本の芸者に会いたいということで熱海にも行きました。でも講演会はしなかったと思います。
ジナさんを招聘されたり、『転生の秘密』を出版されたりとたま出版とケイシーとは深い関わりがありますが、韮澤さん個人にとって、ケイシーはどのような存在なのでしょうか?
私が最初に読んだケイシー本は、たぶん十菱さんが翻訳された『奇蹟の人』じゃなかったかなぁと思います。中学の頃かなぁ。最初あの本は十菱麟さんが作られた英瑞カンパニーから出されていたと思います。その英瑞カンパニーは立ち上げの頃、AREの日本支部も立ち上げていました。1958年頃です。それでAREシリーズも15冊くらい出しているんです。でもそれが何年も続きませんでした。その本の版権を霞ヶ関書房に売ったり、出したものがそれっきりになったり…。でも英瑞カンパニー立ち上げの頃にケイシーの本を読み、その後、十菱さんとの関係が運命づけられているような流れになっていきました。

ケイシーは生まれ変わりという価値観に目覚めさせてくれました。生きる目的を自覚したのもケイシーの本からです。
韮澤さんと言えばUFOですが、UFOについてのケイシーリーディングを調べられたことはありますか?
調べたことはありますよ。たま出版が最初にAREツアーを主催したのが1992年。
私も行きましたよ。韮澤さん、ツアーの団長さんだったんですよね。
私はツアーの代表者として行きましたが、たま出版としても、あそこでAREの本の出版権を20数点契約してきたんです。でもその半数近くがまだ出ていないんですが。そのリストは秀さんのほうに渡して尻を叩いていますけど、進まないんですよ。ケイシーセンターの翻訳チームや福田高規先生に依頼しているものもあります。ケイシーの講演集も秀さんのところでストップしています。それはリーディングがらみで翻訳が難しいらしいです。忍耐強く待ちます。秀さんは尻を叩いても動かないから…。

その第1回のツアーでアメリカに行ったとき、UFO問題も非常にユニークな動きが始まっていて、国連でUFO問題の進展があったんです。その会合のデータをもらうと同時に、ARE図書館の方が、私がUFO問題を研究しているということを聞いていたらしく、UFOに関するリーディングのコピーを3~4点私にくれたんです。残念なことに引っ越しの時に原文を紛失してしまったんですが、内容は憶えています。

1つははるか昔、地球に生命が誕生し、人間を地球で生存させるときに宇宙的な知性体の関与があった、というリーディング。もう1つは、アトランティス末期、ポセイドンという町が沈没するとき、今のユカタン半島に彼らが降りてきて救済をした。警告と救済をするためにやってきたというリーディングがありましたね。
救済というのは、人間をUFOに乗せて救済した、ということですか?そこまで具体的なことは書かれていなかったと記憶しているんですが。
アトランティス人に対し警告を与えたということは読み取れましたね。実際に救済をしたかどうか、はっきりとは書かれていませんでした。でも関連のリーディングがいくつかあったと記憶しています。

このUFO問題は、実は私がエドガー・ケイシーに接触する前から私の人生に入ってきています。小学校3年のときですから1954年です。夏、学校のグラウンドで天体観測会というのがありまして、望遠鏡で月や星を見ましょうということで集まった。集まっていたら、地平線から大きな星が近づいてきた。そして天頂近くで消えたんです。当時は人工衛星がまだない時代ですから、子供心に不思議なものだなと思っていました。いろいろ考えたあげく、地球は丸いから宇宙船が一直線に飛んでいったのがそう見えたと考えたんです。

小学校5年くらいから、空飛ぶ円盤に関する本がいろいろ出始めて、中学になった頃からそういった本を読んでいました。UFOだけではなく宇宙人の問題も興味の対象に入ってくるわけです。家の屋根の上で毎晩星を見たり観測もしていました。

高校のときは水泳部に入ってまして、放課後30人くらいでジョギングに行っていました。新潟ですから越後平野といって地平線までずっと田んぼが続く広い平野があるんですが、山に向かってジョギングをする。往復4キロくらいかな。そこを走っているとよく球体の飛行物体がついてくるんですよ。オレンジ色の…。

その頃から私はUFOマニアとして有名になっていまして、私は副マネージャーだったので自分で走らないときにも自転車で部員の横をついていってたんです。UFOが出ると誰かが「韮澤を呼んでこい」と言い出して、私が自転車でメンバーの前を走っていると、呼び止められる。戻ってみるとその飛行物体がずっと着いてきて、そのうちいなくなる。途中で折り返して学校に戻ってみると、向こうの山の上を銀色のやつがスーっと動いている。それは何回もありましたね。だからUFOを呼ぶ男みたいな感じに思われていました。大学に入ったと同時に全国組織で活動を始めました。

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