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  3. 第11回「世界の反対側にいる人、10人でも20人でも、私がここでひまし油湿布すると良くなるんだから。ホントだよ。」

第10回
ちゃんと資格をとって治療を生業にしようと思われたのは、何かキッカケがあったんですか?
それはこういうことです。私はすぐにモノを書き始めるタチなので、ケイシーのことを書いていたんだけど、なかなか出版のめどが立たない。まだたま出版の瓜谷さんとも知り合ってなかった頃だし、資金も大変だということが分かって・・・。ある時、友達とスキーに行ったときのこと。そこは雪が何メートルも降り積もるような山奥で何もない。何もないから、じっと考えているときにハッと思った。ケイシーのリーディングには治療のコースがあるじゃないかと。それまでは『人間とは何か』ばかり見ていたからそっちには全然目がいってなかった。
ということは、それまで医療リーディングには関心が無かったんですか?
そう。それがフト気がついた。スキー場は夜暗くなるのが早いんですよ。翌朝まで何もすることがない。それでお風呂に入っているときに気がついた「あ~!」と思ってね。でも免許を取るのに何も分からなかったから、家に帰ってから今の厚生労働省に電話した。私には学歴がないから、あなたが入学できる学校は2つしかありませんよと言うわけだ。1つは東京で1つは鹿児島。すぐに鹿児島に飛んだんだけど、来年の新入生は募集するかどうか未定ですと。それじゃあということで東京1本に絞って、東京の学校に入ったんですね。2年後、卒業したときには本格的にケイシーの治療法で行きました。それまでもケイシーのことばかりやっていたから、はじめからケイシー。
リーディング健康会を始めたのはいつですか?
87年からです。リーディング健康会は、私がケイシーをやっているのを見て、安田先生が「面白いことをやっているねぇ」と始めてくれたんですね。あの人はバリバリしているから、すぐに会を立ち上げ、講習会も立ち上げてくれて、アチコチでばんばん講習会を開催してくれたんです。

名古屋の片岡さんがエドガー・ケイシー健康会を立ち上げられたのは91年です。本当にいろんな人に助けられてきました。ついこの間のことのように思いますが、もう、うん十年経って、講座も200回を超えます。
私が福田先生にお会いしたのは、1992年のAREツアーのときです。当時は福田先生はまだ独身で、私もこのとおり背が低いし福田先生も小柄なので、身長が合うからという理由で、ツアーメンバーから福田先生と見合いしないかと言われたことがありますよ。
そうなんだろうなと、なんとなく知ってました。ところで、ケイシーを知ったのは、やはりお兄さんの影響?
そうですね。ケイシーを知ったのは中学の頃ですが、深く関わるようになったのは、92年のAREツアーのときからです。

さてさて、これまで先生の人生をざっと振り返ってきました。生長の家の活動を熱心にされていた福田先生の心をわしづかみにして離さなくなったケイシーの一番の魅力って何だったんですか?
「人間ってこれだ!」って思ったんですね。もうその頃は生長の家で何年もかけて勉強をしていたので、話が分かるんですよ。霊的な世界観が混沌としているなか、ケイシーの話はちゃんとしてる。「これは間違いない」と。そして治療を始めてみると、よく効くのでビックリかな。

ひまし油湿布のことでいうと、腎炎、肝炎には間違いなくいいですからね。胆石もほとんど出ますね。実際は、出るんだか無くなるんだか分からないけど。ですからすごく自信を持ちましたね。精神的な障害がある人の助けにもなる。精神的なことにもひまし油湿布はいいに決まっているんだけど、そんな方に「ひまし油湿布をやりなさい」と言ってもまずやってもらえない。サポーターとかアテンダントとかヘルプしてくれる人がどうしても必要。でもヘルプしてくれる人がいて、一緒にひまし油湿布をやっていると、元気になってしまう。
それはヘルプしてくれる人が、無理にその人に湿布をさせるってことではないですよね。どういう形で湿布をしてもらうんですか?
そのヘルパーさんがまず自分でひまし油湿布をするんですよ。それで「ひまし油湿布、素晴らしいわよ。湿布をするとこんな元気になるのよ」ってやるの。例えば「娘に湿布をさせたいんですがやらないんです」っていうお母さんには「まずお母さん、自分でやりなさい」っていうの。それで「よかったわよ」って言わないとダメって。「よかったわよ、だから一緒にやりましょう」と言うの。それで一緒に湿布をしているうちに自然に良くなっちゃうんだね。ごく普通の生活をするようになる。

胆石で10日後に手術が決まっていたのに、消えてなくなった人もいる。かくいう私も10代から腎臓結石だったんです。便器に向かって排尿すると白い石がパチパチパチって当たってましたね。地面の上に排尿すると白い石が散らばってました。若い頃は真ん中に白い石を集めてみたりね・・・。私の場合、10代からのヒドイ結石だったから無くなったときは劇的でした。石が長年溜まっていたので、腎臓の細胞がびらん状態といって、腐ってはないけど細胞が一部が死んでた。それが患者さんのお宅で全部出ましたよ、ドボドボと。流れていかないくらい、ものすごい量でしたよ。それっきり三十数年元気にしてます。もう腎臓のことは忘れています。
そうなんですねぇ。福田先生ご自身もケイシー療法に助けられたお一人だったんですね。
先生が治療のお仕事を始められた当初、ほとんどの方はケイシーのことを知らず、また治療法として身体にオイルを塗ったり湿布をしたりというのはなかなか受け入れられなかったのではないかと思うんですが、当時、ケイシー療法のことはどう患者さんに説明されていたんですか?
今と一緒。エドガー・ケイシーという人がいて、私はそのファンなんですよ。ひまし油湿布というのがありましてね、ケイシーさんは全部の症例の人にオイルマッサージを勧めているんです。だから健康法として素晴らしいですよ、オイルも台所にあるオイルでいいですよ。だいたいこんな感じです。ひまし油湿布もやってみるとなんか元気になるので、だんだんケイシーのファンになってくれるのかなぁ。
その体感があった方が別のお友達を紹介してくれる・・・みたいな感じで伝わっていったんですか?
そうです、そうです。

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